『カウンセリングを受けるべきなんだろうか?』
そう思った時の判断基準に困っていらっしゃる方が何人いるんでしょう?
そもそも「カウンセリングを受ける」という行動を選択肢の中へ導いたものは何だったのか?
そこも大事だったりします。
ネットで検索してたまたま出てきたのか、
友人に勧められて考えてみたのか、
ふっと記憶の片隅にあったものが頭によぎったのか。
導いたものがキッカケで、実行に移す原因となるの動機であり、カウンセリングに限って言えば判断基準です。
何に影響され何がキッカケだったのか、すごく大切な事なんですが、
そこから実行に移すまでのパワーって、ものすごいんです…。
キッカケが足し算ではなく、掛け算となるパワーを与えてくれれば、走り出しやすいものの、実際にダッシュをかける主な動力源はやはり『一歩踏み出す判断基準』です。
身体の病気やケガと違い、「心が傷ついている」という状態は、目で受け取れる情報は少なく、
周囲の人間からは中々理解されにくいものです。
だから余計に「第三者に聴いてもらう」という選択肢が消えてしまいがちです。
「恥ずかしい」、「みんな我慢してる」、「受け入れてもらえなかったらどうしよう」。
ほんの少しの一歩で「少し聴いてもらう」だけで開かれる道もあると思います。
「聴いてくれる誰か」が居るなら「カウンセリングを受ける」という選択肢はとりあえず保留で良いと思います。
でも、「聴いてくれる誰か」が居ない。
「聴いてくれる誰か」はいるけど、「聴いて」と言えない。
そんな時はご相談ください。
たまたま話がかけられる環境にいる『すぐそばに居る誰か』、そんなイメージでご相談ください。
そのイメージは自由です。
たまにしか会わない友人、普段はあまり話さない同僚、数年ぶりに会った親戚、
出かけた先でたまたま意気投合した誰か。
近しい人には知られたくないと思う部分があるお話なら、なおさら共通の知り合いがいない関係の方が話しやすいこともあると思います。
夫婦のこと、子供のこと、親のこと、お仕事のこと、職場の人間関係、恋愛、何でもお話ください。
『誰か』に聴いてもらえるだけで楽になれる時があります。私でよければ是非、その『誰か』になりたいと思っております。
ご連絡お待ちしております。