優しさとは

近所の道を歩いていた時、不思議な光景を見かけました。
横断歩道の前で車と人が止まったままになっていました。
ハッキリと時間は計っていませんが少し長い間、その状態が続いていました。
近くを通り過ぎた時、理由がわかりました。
歩行者は足の悪いおばあさんで車に遠慮して『どうぞ先に行ってください』とジェスチャー、
車の運転手さんは『いえ、こちらは車なのでお先にどうぞ』的なジェスチャーをしていて、
止まったままになっていました。
結果的におばあさんが横断歩道を渡る事になったのですが足が悪いらしく、横断に時間がかかっていました。
車の運転手さんもおばあさんもお互いに申し訳なそうな顔をしていました。
恐らくおばあさんは自分が横断に時間がかかる事がわかっていたから遠慮していて、
車の運転手さんもすごく優しそうな方で、優しい笑顔で決してせかすような素振りをみせずに待っていました。
お互いに相手を思いやり素晴らしいやり取りだったと感銘を受けました。
しかし結果として二人が申し訳なさそうな顔をしていたのがすごく、いたたまれない気持ちになりました。
でも、その場にいた僕も優しさをもらえました。

誰かが悪いわけじゃなく、優しさの行き着く先に予想しない『ナニか』が待っていることがあります。
これは人間が生きていく中で避けて通れない事で、一人が二人、二人が集団、集団が社会、関わる人間が多くなればなるほど、感情が複雑に絡み合い、善い行いの先に予想できない『ナニか』が待っている。
待っていた『ナニか』によって自分の生活が狂わされる事が、良い行いが悪事と勘違いされる事があるかもしれません。
自分にもしそんな事が起こったら自分がどうすべきか、そんなことをふと思いました。
結果どうなろうとそれが優しい気持ちから発せられ、やろうと決めた事なら、僕はやるべきだと思いました。

だって、僕はさっきの横断歩道で『優しさ』をもらえたから。

横断歩道の二人に幸せな一日が待っていますように。

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健史 遠田
健史 遠田

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